遠州横須賀 城下町 観歩記(その2)


吉田屋(大判焼き)前 河原町
み〜つけた! 町並みに残る歴史の足跡
横須賀町番所(大須賀支所前)

横須賀城東追手門外にあった町番所を昭和55年に大須賀支所前に移築したもの。現在は歴史民俗資料館として利用されている。
(天気がいい日は毎日開館)
旧・新屋町稽古場(新屋町

元大須賀村、横須賀町の役場建物。明治40年築。昭和8年まで役場庁舎として使われていた。H17.7まで新屋町稽古場として使用されていた。
※平成17年7月、新・稽古場建替えのため、解体されましたが、まったく同じ姿で新築されました(こちらをご覧下さい)
三熊野神社(新屋町・東本町)

大宝元年(701)文武天皇の御勅願所として創建され、以来1300年余にわたり、遠州横須賀の産土神、総鎮守として信仰を寄せられている。大祭は毎年4月の第一金・土・日に行われ、13台の祢里(江戸型山車)が城下の町並みを曳きまわされる。
船板の御蔵(東本町)

三熊野神社の西側、東本町の裏道沿いにある。昔はこのお蔵のように、廃材を巧みに利用しリサイクルして使っていた。海の塩に浸かっていた板材は、風雨にさらされても耐久性が優れている
※平成23年9月)21日台風15号で、大きな被害を受け、周りをトタンで覆ってしまい現在では残念ながら見ることができません
十内圦(西大渕)じゅうないいり

今から約360年の昔、柳原十内と名倉五郎助らの献身的な努力により、西大谷川の底を掘割、西大渕へ灌漑の水を流すための大土木工事が行われた。現在も当時のままの姿を残している。
遠州横須賀城址(松尾町)

天正8年(1580)徳川家康の命により、大須賀五郎左衛門康高公が築城、遠州横須賀藩初代城主となった。以来明治維新まで20代の城主が藩政を行った。石垣は小笠山の地石を使った野面積みが特徴。城を取り巻く白壁の長さは、日本で最長ともいわれている。国の史跡となっている。
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